▼技師経験をもつ医学生
2017/04/24
異色の医学部1年生
2015年の仕事納めの今日、研究室に、かねてから会いたかった人が来てくれました。山子峻平君、技師免許を持っている、異色の医学部1年生です。
東北大の保健学科を卒業して診療放射線技師となり、癌研有明病院の放射線治療部門で2年働いた後に、職場を辞めて1年間勉強し、弘前大学医学部の入試をパスして今春から1年生となったのです。
優しそうな笑顔がとても素敵な26歳。右側の(旧姓)船登さんは、東海大学附属病院に勤める技師で、実は東北大のときから同級生、テニス部で一緒で、長く愛を育み、最近結婚しました。来春から弘前に移り住み、弘前大の技師として働くことに。
BodyDWI研究会の事務局をしてくれている井原さんともパチリ。年末までお疲れさまです (^^)
祖父の進行がんが遠いきっかけに
医療関連職に就く人は、何かしら過去に受けた医療に対する良い印象がきっかけになることがありますが、山子さんも、自分の祖父に進行肺がんが見つかり、一生懸命治そうとして努力している医療人を見て感銘を受けたのだそうです。その時の経験から、「自分で治してあげたい」という気持ちが強く沸き起こったので、技師としての就職先として放射線治療部門を希望したとのこと
しかし、大学卒業後技師として2年も働いた後に、職を辞して退路を断ち、実家で「宅浪」して受験勉強をまたするのは並大抵なことではなかったと思います。どうして、そのような困難に立ち向かったのかお伺いしました。
再度の受験に挑戦した理由
彼の勤める放射線治療部門には、癌になった患者さんがやってきます。その患者さんは一生懸命治ろうとするわけですが、彼ら彼女らが主治医を信頼して身を任せている様子、安心感を得て心の支えと感じている様子をみて、自分もそのような仕事をしたい、と感じたとのことでした。
「技師の仕事はどうでしたか」ともお伺いしました。彼によると、医師は一週間に一度ぐらいしか患者さんに会わない(会えない)けれど、技師は治療を通して毎日会えること、また患者さんは放射線治療に対して怖いという気持ちを持つので、それを毎日の担当を通して和らげてあげられることが良かったとのことです。
技師の場合は機械を扱うことが多いので、機械好きのに人はとても向いているが、自分は機械の整備や調整はあまり得意ではなく、どちらかというと「大変だな〜」と思うことが多かった(努力が必要だった)という気持ちも打ち明けてくれました。機械が好きな人は、とことん改良を試みているのでうらやましく、それが歓びである場合はとても良いと思うとのことでした。
一心不乱
「どのぐらい勉強をしたのですか」とも聞きました。1日に15〜16時間だったそうです。僕は合格した年(2浪め)は正味で14時間ぐらいでしたので、ちょっと負けたかな。正味だからおんなじぐらいかな。寝る時間を考えるとmaxだと思います。「もし受からなかったらどうするつもりだったの?」と聞くと、そのときはしかたがないけれど、3年間は続けてみようと思ったとのことでした。
船登さんに「その1年間はどうやって付き合っていたの?」と聞いたら、図書館などで一緒に過ごしたそうです。彼は勉強、船登さんは(東海大では発表を良くするので)プレゼンを作成したり、ネットをみたりしていたとのことでした。ある日、さすがに気晴らしに一緒に外に出たいと思い、「ちょっと服をみにいかない?」と聞いたら、あっさり断られたようで、一年間遊んでもらえませんでした、と笑っていました (^^)
感想・・・
努力が実って神様が微笑み、たった1年で合格したわけですが、やると決めたらとことん妥協せず努力を続けることは、改めて重要だなぁと感じました。意志の力って実はすごいんですよね。あとは、人生に対して楽天的なところ(ダメならダメでしかたがないという気持ち)もいいなと思いました。彼の笑顔にはそれが現れているような気がします。そして船登さん・・彼をしてずっと離れたくないと思わせる女性なんですよね。なんかね東海大病院でも、謙虚で物静かな感じなんだけれど、存在感があって、一生懸命している様子が印象に残る人なんだよね。ホントごちそうさまでした!これからの2人が楽しみです。
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