あなたはどんな医師に診てもらいたいですか
2017/04/24
今日は、同期生の土谷順彦君の教授就任祝賀会*があり、秋田に行ってきました。その会で、土谷君の恩師である、加藤哲郎先生**の言葉に感銘を受けたのでご紹介します。会場はほとんどが医師でしたので、「医師が医師に話している」というシチュエーションです。
あなたはどんな医師に診てもらいたいですか
「教授になると、大学での研究と教育に、とくに力を注ぐことになります。しかしこれは、実践するのはなかなか大変なことです。ぜひ、土谷君には頑張って欲しいと思います。」
「その中でも教育は大変です。私は若い時に「こんな安月給で、後輩へのEducationなんか(馬鹿らしくて)やってられるか」と、ふと思ったこともありました。」
「しかし皆さん。」
「皆さんは、自分が病気になった時に、どんな医師に診てもらいたいですか?」
「どうですか?」
(周りを見回す、沈黙3秒)ー
◆ ◆ ◆
「・・・当然、病気をする年齢ですから、自分よりずっと若い医師に診てもらうことになります。」
「その時私だったら、最低でも『自分よりも知識のある人間』に診てもらいたいと思うんですね。」
「その若い医師は、若い時に受ける「教育」によってまず知識を得るわけです。だから、私達は若者に教えるのです。」
「このことに気づいた時、私は、いままで感じていたわだかまりが、すっと消えるのを覚えました。」
「教育というのは、それほど素晴らしいものです。ぜひ、土谷くんにも一生懸命、後輩の教育をしていただいて、立派な医師をたくさん育ててもらいたいと思います ・・・」
以上が加藤先生の言葉です。
教育に携わる(たずさわる)ことができる歓び
教育というのは、非常にやりがいのある仕事のひとつですが、基本的には無償の努力や情熱によって達成されるようなところがあります。教えることは歓びであり、ひとたび準備を始めると時間や疲れを忘れます。
しかし実際には、臨床で時間を取られ、研究も続けていて、精も根も尽き果てたのに、その上に、となると、ふと、加藤教授が吐露してくださったような、正直な気持ちが湧いてくることはあるでしょう。
私自身も、土曜日に授業をしたり、朝早く出て印刷したり、一枚一枚答案をみたり、といった作業をするとき、本来は楽しいはずの「教育」が、つらいと感じることがあります。
しかし教育をすることが、人を作るのですね。
加藤先生の話では、「どんな医師に診てもらいたいですか」というセンテンスが使われました。これは一見すると、「『自分のためでもある』と納得している」ように見えます。
しかしこの表現は、聞き手に身近に感じてもらうための、一種のレトリックのようなものであって、自分のためというよりむしろ、「周りのため、それ以降の世代のひとのため」になる、尊い作業であると教えてくださったと感じました。
・・改めて、そう気づかせてくださって、大変ありがたかったです。
加藤先生のこの言葉を思うとき、だれでも「教育に携わることができる歓び」を感じることと思います。
*教授就任祝賀会:
同期生の土谷順彦君は、長らく秋田大学腎泌尿器科学の准教授を務めていましたが、この度めでたく山形大学の教授に就任しましたので、その祝賀会が秋田で行われました。とても盛会で、土谷くんがいかに人望があり、慕われ、業績があり、温和な人間かよく分かる会で、掛け値無しに素晴らしい会でした。現教授の羽渕友則先生(秋田大学病院長)は、彼のような人物をどうしても教授にしなくてはならないと考え、10年間たゆまぬ援助を続けてくださったそうです。本当にうれしそうで、また安堵の様子が見えました。
**加藤哲郎先生:
秋田大学泌尿器科学の前教授で、秋田大学名誉教授でいらっしゃいます。この言葉の前に、どんなに土谷君が教授になってうれしいかについて、沢山お話いただき、同期生一同感動いたしました。
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