ラジエーションハウス
2017/04/24
今夜は、「グランドジャンプ」に連載中の「ラジエーションハウス」の編集者さんにお話を聞いてきました。
「ラジエーションハウス」は診療放射線技師が主人公であるという、いままでにない設定の漫画です。
編集者の言葉に感動しました
編集者さんは「私は今まで、外来のお医者さんがすべての診断をしてくださるんだと思っていました。」「しかし実際は、放射線の技師さんが、患者さんひとりひとりにあわせた最適な撮像をものすごく気を遣って撮ってくれていたり、放射線科医が画像を診断してくれているというのを聞いてものすごく驚きました。」「でも、他の人も含めてだれもそんなことを知らない。だからどうしてもそれを伝えたいと思ったのです」と語ってくださいました。
・・・ワタクシ、本当に感動しました。もう絶対応援しようと思いました。
物議も醸しているけれど・・
漫画なので、登場人物(技師長)がモロにタバコを吸ったりして、「あり得ない設定」だということで、実は物議も醸しています。確かにあれは困ります。
でもよくよく考えてみると、それよりもなによりも、とにかく、放射線技師が「ただスイッチを押している人」とか、放射線科の医師が「放射線で治療している人」としか思ってもらっていない現状があります。
まず、そうでないことを知っていただくのがスタート地点。そう思ったら、小異を捨てて(中異かもしれないけど)大同をとるというのは大正解のはず。
というわけで、本当に今宵は嬉しい思いでした。
ちなみにラジエーションハウスは、試し読み出来ますので、ぜひご覧ください。
余談
僕は、「臨床科(小児科)の医師」として働いた経験と、「放射線科の医師」として働いた経験と、もうひとつ獨協医大で、2人の技師さんと3人チームでMRIを運用した、つまりほぼ完全に「技師」として働いた経験があります。
そこで感じたのは、お互いに何も知らないということでした。
まず小児科医でスタートした自分の人生は面白かったです。朝7時前には病院に着いて患児を見回ることから始まり、23時半ごろ終電近くなってそろそろ帰ろうかという生活。疲れますけど超充実。有り余るエネルギーをすべて発散!オーベン(先輩)から一日中いろいろなことを教えてもらいます。
「あのな、高原。放射線科医のいうことを鵜呑みにするんじゃない。あいつらはただレントゲンを見ているだけ。あれは影絵でしかないんだ。死んでても生きててもわかんないだろ。でも俺達は見て(視診)、触れて(触診)、聞いて(聴診)、それで患児の状態を診るんだ。わかったな」
「そりゃそうですよね。わかりました!」
これはある意味で全くの正解です。患者を診ないで何かを診断することのなんと危ないことか。放射線科医が陥りがちな過ちです*。放射線科医は、患者と担当医が長く付き合っていくこともあまり意識せず、「その時点での診断(だけ)」で完結するようになんとなく想像する傾向も強い。
でも、放射線科医になったときに見えたこともありました。
その後僕は、MRI普及の黎明期に、毎日患者さんをガントリーに誘導し、MRIを撮像し、フィルムも焼き、診断レポートも作るという、きわめてまれな業務に就くことになります。MRIの勉強をしながらまず驚いたのは、血管が画像に含まれていると、血流があると、左右あるいは上下に、ゴーストアーチファクトという偽像が発生して、せっかくの画像をダメにしてしまうことです。初期にはそれを上手に制御することは困難でした。
「このMRIは、生きているか、死んでいるかわかる画像だ」
・・・・私はそのとき本当に驚きました。ぜひ、すべてを教えてくれた小児科の先輩に伝えたいと思いました。後日その先輩にお目にかかった際、それを話すと「へぇ〜」と驚いてくださいました。
私は臨床医としてスタートしたので、毎週一回の教授回診のまえに、主治医がありとあらゆるデータを必死で集め、まとめ、覚え、解釈し、それを教授に上申することをまず学びました。
教授回診といえば「白い巨塔」的な権威の象徴でもあります。でも私は、社会正義だと思いました。一週間に一回、すべてのデータを揃えて検討し、次の週の方針をしっかりたてるのです。だから教授回診があるのであって、そのときまでにきちっと揃えることが担当医の責務でした。これが間違いなく患者さんのためになるのです。
その後私は放射線科医になりました。
先輩の放射線科医が、臨床科から来た研修医の「すみません、明日までに(回診があるから)どうしても撮影をしていただきたいのです」とお願いしている言葉に対し、「お前な、こんなに混んでいるのわかるだろ、できるわけないだろ」といじわるを言う様子を稀ならず見てきました。明らかにそれは言い過ぎで、すこし無理すれば入れられるのに、入れようとしない。いじめであり、エバリです。俺は偉い。ここは放射線科。
自分自身が小児科研修医だったときにも経験があります。CTではどうしても詳しくわからない脊髄腫瘍の小児患者。当時めずらしかったMRIの撮影を必死にお願いしに行きました。しかし担当の技師さんにもう、めちゃくちゃボロクソに言われました。「お前たち小児科医はな、いつも時間を守らないんだ。子供が寝ないなら麻酔をきっちりかけるんだぞ」。
そう言われて、通常の1.5倍の麻酔薬を患児に注射してピッタリの時間に「寝させ」ました。小児科医は子供を守る立場の医師。麻酔薬はなるべく少なく使い、寝ない時にのみ増量するように厳しく言われていますが、その時には目をつぶりました。手術を考えるにはどうしてもMRIが必要だから。しかし予定時刻になっても呼んでもらえません。その前の患者の撮影が30分近くも長引いたのです。呼ばれた時には患児は麻酔から覚めてしまい、悔し涙がでました。泣く泣くさらに麻酔を追加して検査を受けました。今でもその人のネームプレートをはっきり覚えているぐらい、純粋な研修医には忘れ難いつらい思い出になりました。
私はその後、その先輩放射線科医や、MRI担当技師が悪いというよりも、相手の環境で仕事をしたことがない不幸だと強く思うようになりました。お互いに、相手の立場で働くことがとても重要だと思います。
私は、駆け出しの技師は、ぜひ読影室に来て、読影の様子を学ぶことが必要だと思っています。いい加減な(不十分な)撮影がいかに読影に支障をきたすのかがよ〜くわかります。同様に、研修医は、まず単純レントゲンの撮影修行に行くべきだと思います。身体を動かしてまずは体得することで、その苦労がわかるのです。MRIなんかはとくに、撮像しなくてはもうまるっきし表面だけの知識で終わってしまう。
立場が変わると、相手がわからない。逆に、相手の仕事をしてみると、とても良くわかる。私は若いときに3つの立場を経験できたことをとても幸運に思いますし、交流について今後も話を続けたいと思います。
* (放射線科医が)患者を診ないで診断する:
だからこそ、臨床医が依頼票に書く、的確なまとめは極めて大切です。沢山の画像診断を連続してこなす放射線科医には、カルテのすべてを見る時間は到底ありませんから、この情報が生命線。しかし依頼票への丁寧な記入を面倒臭がってちょっとしか書かない臨床医も多く、それは患者さんのためには残念なことです。
一方で、自分が臨床医(小児科研修医)だったときに、とても丁寧に、臨床的な疑問点をまとめて、分かりやすく依頼票に書いたのに、画像診断医のレポートが、「n.p.」たったひとつだったことがあります。n.p.は not particular(特記事項無し)という意味です。これでは相手がなにを考えてくれたのか、どんな画像診断をしてくれたのか全くわかりませんでした。やはりここでも、お互いの仕事内容と役割分担を理解していることが大切だと思います。
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