放射線科医・MRI専門家の高原太郎個人ブログ

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それは私たちの心のなかに

      2019/05/08

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http://tarorin.com/opinion/2015/11/indiscrimination_in_our_mind/

この文章は、パリで起こったテロ事件に際して書いた文章です。何の落ち度もない人が、突如として命や幸せを奪われてしまう理不尽・・・無差別な人殺しは、心底憎むべきものです。

私たちは、「彼らはひどい!!」(そんな犯人と自分はまったく違う)と感じますね。

しかし本当にそうでしょうか。

無差別な人殺しをする悪人と、善人の自分は、一見、正反対のように見えるけれども、悪意の根っこは、実はわれわれの日々の気持ちにあるということを私は感じます。

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まさかと思うかもしれません。しかし我々は、掲示板など匿名のインターネット上で、見えない相手と、普段なら到底使わない言葉で罵り合う様子をみます。また、自らは安全な(匿名の)ところにいながら、よってたかって晒し者にすることを見ています。それを読む人は、とまどいながらもある程度の満足を得ることでしょう。こういった「危ない」気持ちは、多かれ少なかれ人の中にあります。

もっと身近なこともあります。相手に対し2つ3つ気に入らないことがあると、我々はその人のことを悪く思いがちです。ひとたび「嫌い」というレベルに達すると、それ以降、すべてを否定する傾向があります。普段の自分なら、「それをしたことはありがたい」とか「偉いな」と思うことがらであっても、嫌いな相手のしたことには、「へん!」と思い評価しないことなどがそれにあたります。

あるいは、ちょっとしたミスをその人がすると、それをあげつらい、他の人と共有し、「だからあいつはイヤなやつなんだ」という気持ちを分け合います。気分がすっきりした錯覚に陥りますが、実のところ憎悪の気持ちが増幅し、さらにそこに心を奪われてしまいます。そしていじめがはじまることになるわけです。

▼ 罪を憎むのか、人を憎むのか

以上のなかで注目すべきことは、最初は「ひとつひとつのことが気に入らない」(=ひとつの行為(罪)を憎む)程度であったものが、他の人とやりとりするなかで「増幅」し、いつの間にか拡大解釈に陥って、「その人のすることはすべてイヤ」「その人のすることはなにも評価したくない」「その人が失敗したら、それみたことかと思い溜飲を下げる」といった気持ちに支配されるようになることです。言い換えれば、「人を憎む」ように、いつの間にか変わっていくのです。

身近な例をあげるなら、FaceBookならば、普通ならば「いいね」をすることなのだけれども、いろいろな事情(自分の気持ち)があるので、「いいね」しない、といった小さなことがらでも毎日生じています。

でも観察はしていて、その人にもし不都合や不幸が起こると、「ほらみたことか」「ざまあみろ」となる場合もあるでしょう。

「ざまあみろ」

だから私は、こういった気持ち、とくに「ざまあみろ」という言葉は、自らの辞書においては可能な限りゼロに近づけるよう努力をしています。ざまあみろという言葉のない人生です。たとえ気に入らない人のしたことであっても、よく考えなおし、評価すべきことを為したのであれば、それはあくでも認めること。また、口に出して「それはえらいなぁ」と言うこと。あるいはその人が一番適していると思う機会があれば、その方にお願いもすること。これを繰り返し肝に命じています。とくに「繰り返し」が大切なように感じています。なぜならば、人はどうしても自分本意になりがちだからです。

▼ 人は遷移する

もうひとつ重要なことは、「人は(あるいは人の気持は)遷移する」ということです。気持ちの中に重心はあっても、常にそこにとどまるのではなくて、揺れ動くということです。その振れ幅のなかで、「ざまあみろ」という気持ちや、あるいは、「自分基準では本来はOKなのに、イヤだから相手を評価しない」というような場所になるべく行かないように、行っても戻ってくるように自らを律することだと思います。

また、人には良い点と悪い点があり、「ここができないから他もダメ」ということでもないと思います。煮ても焼いても食えないということもあるでしょうが、ほとんどの場合は、その人にもなにかしらの努力と才能があり、また結果もでていることと思います。悪い点を捉えがちな人に不幸なのは、実は相手の持っている良い点を無視することで、自分にもそれが還元されないことではないでしょうか。

▼ 日々の無差別

我々は無差別な殺戮に対して怒りを覚えます。ですから、まず日々の中での無差別性に注意を払うべきだと思います。無差別に、「特定のグループすべて」を否定するような気持ち、また無差別に「特定の個人」すべてを否定するような気持ちです。

戦争の悲劇を扱った映画を見ると ー これは私の場合は、「硫黄島からの手紙」(いおうじまからのてがみ、Letters from Iwo Jima)がそうですが ー 殺し、殺しあう人のどちらの側にも、産んでくれた母親がいて、家族がいて、亡くなったことを悲しむということが分かります。

自爆テロをした人にもそれが当てはまり、彼ら彼女らを産んだお母さんは、やり場のない悲しみに包まれることと思います。もちろん、理不尽に突然に命を奪われた人とその家族に対しては、かける言葉もありません。自分にもこどもがいますから、同じ目に遭えば狼狽し、とてもではないですが平常心でいられることはあり得ません。

このように考えると、より身近な問題であるいじめも、その人の一挙手一投足をすべて「無差別に否定する」ことですから、決してしてはならないと思います。その出発点が自分のなかに芽生える小さな気持ちであることを常に省みることが必要だと思います。

▼ お金がお金を産むことの虚しさ

以上のことまでは個人の努力でできるし、そういう社会になるよう努力していけば良いと思うのですが、今の社会で「お金がお金を産む」という矛盾に対しては現時点で解決法を持ちません。

テロの多くが、「自分勝手な理論を構築し、都合のいいように世の中の仕組みを保持する資本家」や、「お金で人をコントロールする人々、お金でコントロールされる人々」などに対する根源的な怒りによって生じていることは間違いなく、貧困や差別もあいまって収束する方向に向いていません。宗教よりもむしろ、お金による汚さに怒りの源があるように私は感じます。

「働いた分に対してお金をいただく」という範疇を遥かに超えた富の獲得は大きな問題です。一般庶民もこれに乗ってしまい、たとえばこの間の自動車会社の不正があって株価が落ちると、「反騰のチャンス」と思うような短絡的な考え方を見聞きすると、その会社にお金を投じることがどんな意味なのかをすっかり忘れてしまっていることを感じます。

宇宙にはブラックホールがあり、これは無限に周囲を吸い込み、質量を獲得していますが、その先になにがあるのか、なにが起こるのかを我々は正確にはまだ知りません。地球において考えだされた貨幣システムが、まるで宇宙の真理のように、ブラックホール化して集束している相似を感じ、将来に対して不安を覚えます。

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