放射線科医・MRI専門家の高原太郎個人ブログ

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父から子へのメッセージ おじさん 2015年5月28日

      2018/01/03

君たちのおじいさん(眞さん)は、8人兄妹で下から2番めの男の子です。兄弟には多くのお兄さんがいました。

長兄に相当するおじさんの家を訪れたことがあります。私の父(眞)と、その母(君たちのひいおばあさん)と一緒でした。

そのときおじさんはすでにとうの昔に定年を過ぎ、70歳を超えていましたが、なんと、NHKの教育テレビを見ていたのです。たしか数学だったと思います。僕はそのとき高校生でした。すごいなと感心したので、「おじさん、すごいなぁ。いつまでも勉強をしているんですね」と感想を言ったのですが、なんと、おじさんは、急に泣きだしたのです。

「僕は、(尋常)小学校で一番だった。一生懸命勉強もしていた。中学校にどうしても行きたかったけれど、お母さんが、ダメだと行って行かせてくれなかった。あのとき中学に行っていれば、大学へも進学したはずで、こんな人生になるはずもなかった」

そう言ってさめざめと泣くのです。当時は、中学に進むこと自体が稀で、小学校のあとは、高等小学校に進学し、それを15歳ぐらいで卒業したら働くのが普通の時代でした。おばあさんは、おじさんがとんでもなく優秀なことはよく知っていましたが、お金がかかる進学を許さなかったのです。

年老いて背中が丸く、小さくなったおばあさんが、本当に小さくなって、つらそうにしていたのを覚えています。
おじさんも泣いていて、眞さんもその場にいづらそうでした。
まだ高校生の、とても純粋な気持ちの僕は、さらにいたたまれない気持ちになりました。

「晩年になった時に、ああいうふうに後悔だけはしたくない。やりたいことはどうしてもやり遂げたい」と、強く思いました。そう言っても、のんびりとしたもので、高校生在学中は大して勉強しませんでしたが、そのときの衝撃はいまでも覚えていて、晩年に後悔するのだけは勘弁だと思い、生きています。私に教育をつけてくれた父母には心から感謝しています。

いま、自分もこどもを持つようになりましたが、このような経験があるので、「こどもたちには、自分の努力で与えられる環境はぜひ与えたい」と思っています。

昨今はしかし、「与えすぎた」と思うことも多く、おじさんのような努力ー定年を過ぎてもなお勉学を続けるーについて伝えることができなかったのではと悩むこともあります。

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